家を建てたときと同じくして、子どもたちが産まれました。
子どもたちには、障がいと重い病気がありました。
医師や看護師からは「おめでとうございます」といわれるのですが、遠い世界のように思えました。
新居に新しい命を迎えることはできません。
産まれてからすぐに子どもたちはNICU(新生児特定集中治療室)に運ばれ、出産前に説明を受けたとおり、入院の手続きとなりました。
チューブにつながれている子どもたちを恐る恐る触り、本当にこの子たちはこれから生きていけるのだろうかと思いながら、仕事が終わると毎日のように交替で妻の母乳を届けるために病院に出かけました。
病院では、手をよく洗って、消毒して、帽子と白衣をまとって、NICUに入ります。
他にもいろいろな事情でNICUに入っている赤ちゃんとその親が、電子的な音のする空間の中で、ただ静かな時間を過ごしていました。
ときどきどこかの赤ちゃんがもぞもぞ動いて計測していた計器を外して、赤い光とともにアラーム音が響きます。
このまま時間が止まるのではないかと思うくらい、静かな時間です。
病院から帰ると、現実に引き戻されます。
食事、掃除、洗濯、仕事・・・毎日、毎日、やることに追われて、この先どうなるのだろうかと思いながら、日々を過ごしていました。
とりあえず、妻が働けなくなることを覚悟しました。
夫婦の収入を前提として組んだ住宅ローン。
借りた金額は4,500万円。
利息もあわせると、総額で6,000万円です。
もし、妻が働けなくなったらどうすればいいのか・・・。
せっかく新居に住みはじめたというのに、いきなり住宅ローンの返済ができないことが頭に浮かびました。
・・・何度も何度も浮かびました。
あのときが、私にとって1番お金で絶望していた時期です。
なんとか子どもたちが退院して、ようやく新居に迎えることができたときには、季節が変わっていました。
子どもたちに障がいがあることは、日に日に思い知らされることとなります。
しかし、実は夢オチだったとか、そんなことはありません。
テレビドラマや小説とちがって、人生というのは連続しています。
「はい、ここで最終回です」ということはなく、ただ、朝がきて、昼がきて、夜がきます。
働いて、
働いて、
働いて、
夜中も1時間もしないうちにどちらかの子どもが泣きます。
起きてミルクを作って、人肌くらいになるのを待って、そしてあげて泣き止んだと思ったら、もう1人が泣いて・・・をひたすら繰り返しました。
私も妻も毎日睡眠不足でしたが、やるしかありません。
子どもたちに障がいがあることが分かってから、1年が経ちました。
通常の1歳児にできることは、ほぼできません。
最初は、障がいといっても軽い程度であれば、「もしかして・・・」と思った時期もありました。
しかし、その後の発達の状況を見ていると、全然軽そうではありません。
事前に買っていたいろいろな本や同じ障がいをもつ親の書いたブログを何度も何度も読んでいましたが、その様子よりもさらに重度であることがわかってきました。
そうこうしているうちに、療育手帳(愛護手帳)も取得しました。
療育手帳を取得するかについてはいろいろな意見がありますが、「金銭的な負担」という面から言えば、私は必ず取得することをおススメします。詳細は、「療育手帳はパスポート!取得すべきか悩んでいるママとパパへ」に書いています。
児童手当だけでなく、障がいの程度に応じて手当ももらえますが、我が家では、子どもたちが生まれた時から全部貯金しています。
出産祝いも
誕生日のお祝いも
初節句のお祝いも
七五三も
お年玉も
お金でもらったものはすべて子どもたち名義の通帳で貯金していて、1円も使っていません。
生活費や住宅ローンの返済には絶対に使わないという覚悟でした。
自分たちは既に30年先を生きている以上、一緒に最期までいるあげることはできません。
親せきを頼るのもどこまでできるかわからない以上、お金をもっておくにこしたことはないと思いました。
このブログでは、お金に関する考え方をいろいろ書いています。
私の場合は、子どもたちのことがあって、どうしてもお金について考えないといけない必要性に迫られたのがそもそものきっかけです。
ありとあらゆる節約の本、家計管理の本、マネーの本、投資の本、副業の本、フリーランスの本などを片っぱしから読み続けて、自分にできることは何だろうかと少しずつ実践を重ねました。
もともと会社員時代の本業がお金に関することだったのでそれほど苦になりませんでした。
2014年3月に、子どもたちのうち1人が病気の手術をしました。
手術が始まる前、もしかしたらこれが最期かもしれないと覚悟しました。
12時間の大手術です。
その間、全く、生きた心地がしませんでした。
本当に小さな身体でがんばりました。
術後、ベッドの上で寝ている姿を見て、涙があふれました。
体中が管につながっていて、本当に生きているのが不思議なくらい弱々しい状態でした。
退院してからも、1年間の間に肺炎や気管支炎などがあり、合計5回、3か月間入院したので、おかげさまで、すっかり入院はベテランです。
状態がおかしいと思って病院に連れて行ったところ、今日から入院ですと言われて「またか・・・」と何度思ったことか。
すぐに会社にかけあって、お客さんにも無理を言って休みをもらい、夜はほとんど眠れずにずっと付き添いをしたりと、毎日がいろいろなものとの戦いでした。
その間、妻が仕事を再開しました。
これは正直、驚きました。
もう無理じゃないかと勝手に思っていましたが、妻は「私は働きたい」と言って、職場復帰しました。
もちろん、そんなに簡単な話ではありません。
毎日が戦いの中、仕事でつらいこともあるはずですが、あれから子どもたちの病院以外ではほとんど休まず、今日も1日がんばって働いている尊敬すべき妻です(妻が言うには、子育てより仕事の方がよっぽど楽みたいですが)。
これで、住宅ローンの返済は余裕ができたので、お金のことについては少し落ち着きました。
子どもたちは3歳になりました。
しかし、意味のある言葉をしゃべることは、できません。
そもそもここでようやく歩けるようになったかくらいです。
1歳相当、いや、1歳未満でしょうか。そんな感じです。
2歳になる子が、3歳になる我が子を見て、「赤ちゃんがいるよ」と言うくらいでした。
そのとき、ふと気づきました。
ああ、この子たちは・・・この子たちなんだな。
そのとき私は、「幸せの定義」を完全に変えました。
そもそも、子どもたちが生まれてきてから「幸せの定義」を変える必要がありました。
例えば、子どもたちが大学に行くことが幸せであるとすれば、このままこの子たちが大学に行ける可能性は限りなく低い、という現実があった時に、私たちは不幸なのでしょうか?
幸せの定義が、「子どもたちが大学に行くこと」であれば、そうでしょう。
しかし、子どもたちが大学に行くことが幸せだと決めたのは、自分ではありません。
「大学くらい出なければ」という大多数の常識です。
したがって、子どもたちが大学に行かなかったとしても、それが不幸だと自分が定義している限りは不幸ですが、幸せの定義を変えてしまえば、そうはなりません。
子どもたちが大学に行かなければ幸せではない。
子どもたちが結婚しなければ幸せではない。
・・・そんな常識で自分の幸せを決める限り、私は不幸になるのです。
そりゃ、子どもたちが大学に行ったり、結婚して子どもを産んだりする姿を想像したこともあります。
そうなってほしいと願ったこともあります。
しかし突きつけられた現実は、残念ながらそれを自分の幸せと定義するのは厳しい状況です。
だったら、「幸せの定義」を自分で決めるしかありません。
2016年7月26日、神奈川県相模原市で大変痛ましい事件が起こりました。
あのテレビの向こうにいた、当時19歳のお嬢さんを亡くしたお父さんの姿は、決して他人事ではありませんでした。
他人がふりかざす正義には、なんの価値もありません。
価値があるとかないとか、そんなものは、他人が決めるものではありません。
それと同じように、幸せとは、決して他人から押しつけられるものではないと思っています。
他の誰でもない、「自分の人生」ですから。
子どもたちを見ていると、子どもたちの幸せは子どもたちが1番よくわかっているように思います。
ちょっとしたことがうれしくて、ニコニコ笑っています。
子どもたちは、毎日保育園に通って遊びました。
入院や病気は、あの頃がまるでウソだったみたいにほとんどありません。
「おとうしゃん」あるいは「ととちゃん」とそれぞれがんばって呼んでくれるようになってきました。
ニコニコしながら「は~い^^」と答えると、子どもたちはニコニコ笑います。
ただ、妻の時短勤務も期限があるので、働き方をどうしたらいいのかを妻と考えました。
子どもたちが小学生になったら、特別支援学校にせよ、特別支援学級に寄せ、親が送り迎えをする必要が出てきます。
2人ともフルタイムを続けるのは無理です。
結論として、私が会社を辞めてフリーになり、妻が時短からフルタイムにしていくことを選択しました。
子どもたちが産まれて収入源が1つしかなくなる危機に直面していろいろな本を読みました。
そのときから私は少しずつ、時間と場所にしばられないで自分の好きなこと、得意なこと、強みを活かした収入源を1つずつ増やしてきました。
その結果、予定より1年以上早かったのですが、会社を辞めることにしました。
2019年春。
子どもたちは小学1年生になりました。
知能レベルは3歳児相当です。
保育園のお友達の名前をときどき言いながら、「今日はどこへ行くの?」と聞きます。
「小学校だよ」と言うと、「小学校」「小学校」とうれしそうに2人は笑います。
「何をするのか知ってる?」と聞くと「勉強」とうれしそうに答えます。
新しい環境で疲れて眠る2人の顔を見ながら、また新たな気持ちで明日もがんばろうと元気をもらっています。
===
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
まさかここまで読んでいただけるとは思っていませんでした。
本当にありがとうございます。
正直、我が家は極端なので何の参考にもならないと思いますが、お伝えしたいのは、幸せの定義を他人にゆだねてはならない、ということです。
事実は1つ、解釈は無限です。
だったら、何があっても「自分が幸せになる解釈」をして生きた方が、お得じゃないです。
今後も「人生がお得になる情報」をお届け続けていきます。
neronaより